両親の話

「自分がされて嫌なことはするな」

小さい頃から親に言われてきたことはなんですかと言われて、一番初めに頭に浮かんだのはこれだった。他にも言われ続けてきたことはたくさんあるが、とにかくはじめに浮かんだのはこれだった。

「自分がされて嫌なことは相手も嫌なのよ。だから自分がされたくなかったら相手にもしちゃいけないの。」幼い頃からそう言われ続け、私が学校の友達を傷つけたときは「あんた自分がそんなことされたらどんな気分になるか考えなさい!」と叱られた。

「相手の立場になって考えられる人になれ」

少し大人になった頃、その言葉はこう言い換えられた。

自分がされて嬉しいと思うことはすればいい。でも一度相手の立場に立ってみて、相手はどう思うかな?喜んでくれるかな?と考えなさい。もうそういうことが考えられる年齢なのだから。

これは完全に血筋なのだが、私の家系はいわゆる委員長だとか部長だとか、はたまた小さなイベントの班長だとかを比較的よく担う人種だった。「人に指示をする立場の人は相手の気持ちを考えないといけないんだよ」そんなことも時々言われた。

「でも、それってただのエゴじゃん。自分がいいと思ったことが相手にとってもいいだなんて自己中なモノサシだよ」

反抗期の私は大変屁理屈屋だった。幼い頃から当たり前のように言われてきた言葉にも無性に反発したくなった。それって本当の親切とは言わないんじゃないの?じゃあ本当の親切って何?

「確かにそうだ。ただのエゴだ。でもな、人間はみんな自己中心的な生き物なんだ。みんな自分のためにしか生きられない。だったら、同じ自己中ならできるだけ親切な自己中でいた方がいいだろう。」

所謂しつけ、というものはうちでは主に母が説いていたし、思い出せる限りの精神論みたいなものもほとんどが母から言われていたように思う。でもこのときのこの言葉だけは、父から聞かされた記憶がはっきりと残っている。今現在のボキャブラリーでいうと完全に論破されたって感じなわけだが、当時の私も何も言い返すことができなかった。ただムスッとして「なにそれー」と言っていたが、内心ひどく納得していた。

優しくありたい。たとえそれがエゴだったとしても、相手にとってなにがより親切なのかを常に考えられる人でありたい。自分がどうすれば相手が悲しまないか、自分がどう動けば相手が喜んでくれるのかを常に考えられる人でありたい。

それが私の両親の教えであり、願いだからだ。

 

私の父は決して寡黙な父ではなかった。というかうちの家系に寡黙な人などいなかった、と思う。

幼い頃から私は見た目も中身も父親似だと言われ続け、年を追うごとに自分でもそう思うようになってきた。父が年を重ねるにつれ容姿の雰囲気は離れていくが、人格が確立するほどに性格が酷似してきたと実感する。

父と私の関係は概ね良好だった。父のことを気持ち悪いと思ったことは今までで一度もないし、今でも父のことが好きだ。小さい頃はよく家電量販店に二人で出かけていたし、父の運転する車の助手席で歌を歌うのが好きだった。父は歌が大変うまく、機嫌がいいと熱唱する父が大好きだった。結構大きくなるまで、「お父さんみたいな人と結婚したい」と言い続けていた気がする。

私には7つ上の兄と、5つ上の姉がいる。二人とも父との仲はいい。兄はともかく、娘二人が父のことを邪険に思わなかったのは、一重に母のおかげだったのだと気がついた。気がついたのは、思春期も終わる頃だった。

 

生まれてから21年と数ヶ月、記憶の限りでは、私は母と似ていると言われたことがない。似てないことはないと思うのだが、確かにめちゃくちゃ似てるかと言われればそうでもないと思う。それは見た目だけではなかった。

私と母はとにかく考え方が違っていた。考え方というか、脳の使い方とでもいうのだろうか。例えば、母は結構どうでもいいことをすごく覚えているタイプだ。私の友達の誕生日だとか好きな食べ物だとかを覚えている。もちろん、それらは私が母に伝えた情報なのだが、私が忘れてしまったことまで母は事細かに覚えていることが多い。

一見何の役にも立ちそうにない情報を覚えていて、ときどきとても救われることがある。

一方私は、興味のない・必要のないと判断したものはすぐに忘れる。それはもう、ものの見事に忘れる。その代わり興味のあることに関してはスポンジのごとく情報を吸収し、滅多なことがない限り経年などでは忘れることはない。

母は広く浅く記憶するのがうまく、私は深く狭く掘り進めるのが好きだ。

そういう違いが、随所に現れはじめたのはわたしが高校生になってからだった。いや、母が言うにはわたしが物心つく頃からそうだったらしいが、とにかくわたしが母との違いを自覚したのは15歳頃だった。

母はとてもおしゃべりな人だ。それはもう本当に絵に描いたようなおしゃべりなおばちゃんだ。そしてわたしもまた、おしゃべりな女の子だった。母と二人で女子トークすることは少なくなかったし、話しが弾みすぎて二人で2時間ちかくお風呂に入ってのぼせたこともあった。

母は、いい意味でも悪い意味でもとても「女性らしい性格・考え方」の人だった。そういった点で姉がとても母と似ているのだが、とにかく、母はそう言う人だった。あまり利口な人ではなかったかもしれない。頭の回転はすこぶる早かったが、勉学に関してはそこまで明るくなかったように思う。

一方で、父はとても明哲な人だった。単純によい大学を出ていたし、とても物知りであった。父に聞けば大体のことは教えてくれた。リサーチ力に優れていたため、わからないこともすぐに調べて教えてくれた。

そんな父を、母は心から尊敬していたように思う。

そしてそんな二人を見て、私たち兄弟は心から父を尊敬していた。

本当に、そんな二人を見ていたから、私は父のことを心から尊敬できていたのではないかと思う。

 

私は今まで、母の口から父の悪口を聞いたことがない。

さっきから人生で一度も〜ないを乱用しているが、記憶上では全て事実なのでそのままの意味で受け止めてほしい。

とにかく、私は母から父の悪口を聞いたことがなかった。

夫婦喧嘩をしているところは何度か見たことがあった。原因は様々だったし、体半は私たち子供のことだった気がする。それでも、単純な「悪口」というのは聞いたことがないのだ。

父からもまた母の悪口を聞いたことはないのだが、接している時間が倍以上違うのでありえることではあるかなと思う。

母は、父に全く文句がなかった何てことはなかったと思うのだ。

これはあとからわかることなのだが、父はとても難しい人だった。頑固で、プライドが高くて、そして繊細だった。

父はいつからか鬱病を患っていた。いつからなのかは正確には知らない。気が付いたら父は日中ずっと家にいて、「最近お父さん家にいること多くて嬉しいな」程度にしか思っていなかった。はじめは私にだけ知らされていなかったのだ。知らされないほど、私がまだ幼い頃から患っていたのだと思う。

原因は知らない。何も知らない。でも、父は明らかにかつての元気さを失っていた。笑顔が減って、口数が減って、出かけることが少なくなった。大好きだった家電量販店デートも行かなくなった。機嫌の悪いことが多くなった。

今現在も、父はまだ治療中だ。しかし復職している。私の学費を稼ぐために、担当医に休職を勧められる状態にもかかわらず、働いてくれている。

年に2〜3回、私は実家に帰省する。仕事から帰ってくる父と母は、昔より確かにぶつかる頻度が増えていた。

それでも母は、私の前で父のことを決して悪く言わなかった。父もまた、母のことを悪く言わない。「ごめんね」と、うつむきながら言う父を私はどんな気持ちで見ればいいのかわからなかった。

 

父は利口な人だ。母は明朗な人だ。

私は二人のことを心から尊敬している。

私は二人に心から感謝している。

だから、親孝行がしたい。親孝行がしたいのだ。

 

親孝行って、なんだろうと考える。馬鹿高い学費分のお金を返すことだろうか、有名になって自慢の娘になることだろうか。

二人の立場になって考える。二人が一番に望むことは、きっと私が幸せになることなんじゃないかなと思う。たぶん、そうだ。

私は幸せにならなきゃいけない。幸せになる義務がある。

幸せになるための努力を惜しんではいけないのだ。

自分のためじゃなく、二人のために。と見せかけて、自分のエゴのために。

 

幸せが何かなんて知らないが、きっと相手に親切にできる優しい人であれば、周りを幸せにできる人であり続ければ、きっとなんらかの未来が見えるんじゃないかなと思っている。ただ漠然と思っている。

2015年夏休みの目標

今年で二十歳になった。

成人だよ成人。小学生の頃想像してた20歳とだいぶ違うけどわたしには兄と姉がいるから中学生くらいから20歳は大人じゃないってなんとなくわかってた。早いだろ。気付くのが早かったからといって大人な二十歳になれるわけじゃないんだね。ちなみにサンタさんがうちには来てないって知ったのは小3です。

 

さて、暦も8月に入りついに20歳の夏休みを迎えたわけだが、せっかく人生に一度しかない20歳の夏休みなので何か目標を立てようと思う。まあ正確にはまだ夏休みじゃないんだけどね。なんとも珍しく補講がない(はずだ)から昨日から夏休みってことでおっけー✌︎もう花火も見ました✌︎

 

夏休みの目標たって何がいいかなあと思いつつ、そういや小学生の頃の自分はどんな「なつの目標」立ててたのかなと思って親にLINEしてみた。親夏バテしてた。

大変余談だがわたしは小学生以下の記憶がほとんどないので昔の自分の話とかは大体伝聞である。親とかに聞いた話はなーんかいつも脚色されてる気がするんだけど確認する術もないのでいつもそのまま受け止めている。こういうとき歳の離れた上の兄弟は信用できないからだめだ。末っ子を騙すことに関しては奴らは非常に長けている。

話を戻そう。小学生の時のなつの目標だが、食欲がないとか言いながら本日2本目のパルム食べてる母親によると

「低中学年のときは『本を××冊読む』とか『ラジオ体操に毎日行く』とか言ってたけど高学年になってからは『生きながらえる』とか『毎日歩く』とか言ってた」らしい。

らしいんだ。いや、「らしい」だからね?前述の通り母の話はかなり脚色されてることもあるので簡単に鵜呑みにはしないでいただきたい。これは流石にかなり脚色されてるはずだ。むしろかなり脚色されていてほしい。頼むから。自分がこんなクソガキ小学生だったなんて信じたくない。なによりボケが つまらない。現在のわたしの笑いへの真摯な態度からは考えられない幼少期だと思った。一体何が小学生のわたしをこうさせたんだ。

 

 

そんなわけで参考になったような全く参考にならなかった小学生先輩の目標を踏まえてわたしが立てた20歳の夏休みの目標はこれだ。

『毎朝白湯を飲むこと』

なんかいろいろ体に良いんだって。がんばります。

よく考えると今までわたしは自主的に何かを毎日やったことがない。三日坊主を絵に描いたような性格で、大体3回くらいで飽きる。ラジオ体操は六年間皆勤だったらしいけど。理由は皆勤賞だと図書券(懐かしい)がもらえるらしくそれで漫画を買えていたからだそうだ。ゲンキンでつまんねえクソガキとかどうしようもねえなほんと

そんな“毎日続けること”に不安のあるわたしだが果たして今回の目標はきちんと達成することができるんだろうか…ケトルにお水を汲んで沸かした熱湯をマグカップに移し飲める温度になったらゆっくりと飲む…それを毎朝起きたらすぐに…か……

一抹の不安は残るが期間はたかが小学生先輩の夏休みの3分の2だ。どうにかなるだろう。この10年の間にリターンがなくても毎日なにかを続けられるような大人に成長したことを証明するんだ。でも舌だけはやけどしませんように。

 

 

 

という冗談は置いておいて、メインの目標は

『毎日文章を書くこと』だ。

どれくらいの長さでもいいし内容はなんでもよし。書きたいことがたくさんあるときや筆(指?)が乗ったときは書き溜めも可。ルールはひとつ、このブログに投稿すること。それだけ。

別に一人でノートに日記を書いてもいいのだが、やはり人の目に触れるところとそうでないところでは断然前者の方がいい。文章でも課題でも人に見られた方がいろんな意味でいいことは明白だ。

なぜこの目標にしたかという具体的な理由がもちろんあるのだが、それはこのエントリーでは触れないでおく。こういう系のタスクは大体ネタがなくて苦しむ人が多いみたいなのでまた次の投稿とかにしときます。余裕って大事だと思うんだ。

 

あ、白湯もほんとに毎朝飲もうと思う。というかもうこれは2週間くらい続けてるのでなにか良さげな変化があったらこれについてもいつか書こう。たぶんないけど。白湯を持ち歩いていたお気に入りの魔法瓶が壊れてしまったのでいい魔法瓶を探しています。どっか(ジャニーズ)ライブグッズで魔法瓶出してくれないかなあ。

 

あと冒頭で「せっかく人生に一度しかない20歳の夏休み」とか言ってるけど普通に考えて毎年一度しかない夏休みを過ごしてるね。意味がわからないことでもとりあえず言いたくなる20歳の力怖えわ。

 

 

 

1865

ハヤカワ五味ファッションショー『RPG』のお手伝いに行ってきたよ

 


女子大生デザイナーハヤカワ五味による異次元ファッションショー@渋谷 - CAMPFIRE(キャンプファイヤー)

http://hayakawagomi.com/rpg/ 

に、少しだけお邪魔させてもらってきた。のでその体験レポートを書こうと思う。一応公開しているが個人用のメモということで。最初に行っておくよ。むっちゃ長いよ。

 

最近懇意にしているクラスメートの稲勝ことハヤカワがなにやらファッションショーをやるようなのでお手伝いがてら舞台裏に潜入してきた。お手伝いといっても当日人の足りないところにちょっと入る軽いなんでも屋をしてきただけである。スタッフさんやらモデルさんやらのわたしへの『なんだこいつ』感すごかったが個人的にはとても楽しめた。ハヤカワTシャツ着てなきゃ本当に部外者そのものだった。割と怪訝そうな視線がすごかったがまじで誰でもないから自己紹介のしようもなかった。ただハヤカワと同じ美大に通ってる特になんの取り柄もない一階のアイドルオタクだ。だがドルオタならドルオタらしく現場レポートを書くことにした。このエントリーを読んでくれる何人がジャニヲタの現場レポを読んだことがあるのかなんて皆目わからないが、かなり偏りある個人の主観で語られる”感想”であることをご理解いただきたい。あとそんなに裏話はない、ほんとにただの体験レポ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あと5分でリハーサル始められますか」

 

わたしが会場に着いた時にはもうまさにリハーサルが始まろうとしている時だった。前日にポスター印刷を頼まれていたので超印刷のしょぼいぺらぺらのポスターを携えてハヤカワに挨拶をする。「おはよー。ポスターありがとー」と言うハヤカワは忙しくキビキビと動いていた。

「ハヤカワさんこれどうします?」「五味ちゃんここはこっちのタイミングでいいの?」「ハヤカワさんモデルさんの方は大丈夫?」「ハヤカワさん」「ハヤカワさん」「ハヤカワさんここって…」

すべてはハヤカワ五味というひとりのプロデューサーの判断、指揮のすべては彼女にあった、と感じた。実際はTehuさんやひゃっほーさんを始めいろんな人が各々指示を出して連携していたのだろう。しかしわたしはそのとき、会場に入った瞬間ものすごいパワーをハヤカワから感じた。

そもそも正直な話わたしは学校でのハヤカワしか知らない。学校でハヤカワと話すことと言ったってこれといって大した話はしていない。くだらない、ふざけた話ばかりだ。たまに食べに行く夜ご飯で真面目にデザイン論や将来について語り合うことはあれど、普段のそれは全くと言って一般的な女子大生の会話と変わらないだろう。

だからこそ、人数のいるチームをまとめ、いろんな方面へ気を配り、声を張り、忙しなく動き回る彼女が新鮮でたまらなかった。というか稲勝がハヤカワハヤカワ呼ばれてることがまず変な感じする。ここで忙しそうにしてるのは普段の『女子大生・稲勝栞』ではない、『ハヤカワ五味』なんだなあとひしひしと感じ、そしてなぜか心踊った。友達の新鮮な一面、SNSで動向を追ってるデザイナーの本番前、パトロンとして支援したクリエイターへの期待。”ここはクリエイションの現場なんだ”そう思わせるには十分な”現場感”があった。

調整を加えながらもリハーサルは進む。公演中、幕間の黒子の仕事があったわたしは一旦舞台袖に入った。モデルさんたちはとてもリラックスしているようで段取りやメイクの確認をしながら楽しそうに談笑していた。わたしは逆に緊張した。SNSで見たことある顔顔顔。前から大好きなモデルさんもいた。信じられないくらい顔の小さいモデルさん、何頭身あるのかすらわからない長い手足のモデルさん、色白で衣装のよく似合ったモデルさん、柔らかい雰囲気を醸し出しているモデルさん。美しい女の子・男の子で埋め尽くされた狭い舞台袖はある種異様な空気で満たされ、且つそれはとても良い雰囲気だった。なんと言えばいいのかわからないが、ハヤカワを先頭に一つのものを作り上げている人たちなんだと思った。しかしどこか違和感があった。なんだろう、どこか疑問がある気がする。

 

なにか引っかかるものを感じながらもリハーサルは終わり、続いて通しリハも無事遂行。15分押しで開場となったライブハウス『渋谷GARRET』に期待が充満する。

わたしは入り口付近で名前が定まらないさん(馴れ馴れしくしてしまってすみません)とサコッティくん(同郷)とカタログ販売をしていた。

ベース音が体に響く音響はさすがのライブハウスだ。それだけでわくわくしない人はいない。

 

オープニングムービーが始まる。ここで私は舞台袖に引っ込むのだが、実はショーに先駆けてアトリエで稲勝に出来立てほやほやのムービー見せてもらってたから問題無い。しかしあの音響で見たかったな。

 

袖ではモデルさんが順にメイク直しをしていた。終わった人からパフォーマンスの確認をする。仲良く肩を並べてにこやかに確認する姿はわたしたち一般の10代20代と変わらない、普通の女の子のようだった(決定的な違いとして圧倒的に見た目が美しいのだが)。可愛らしく、他愛のない会話、小気味の良いノリは笑いを誘い、それはどこにでもある日常のようだった。

そこでわたしは気付いた。そうか、わたしが感じてた違和感はここにあったのか。

”普通”なのだ。いい意味で、親近感が湧いてしまうほどにみんな”普通”に振舞っているのだ。見た目が美しいこと、特別な衣装を着ていることを忘れてしまうくらい、私たちと同じだ。そんなはずはない。そう思うだろう。私だって思う。でもそうなのだ。だから違和感を覚えずにはいられなかったのだ。

しかしその”普通”を感じさせる彼女たちが、ひとたびステージに立てば、ランウェイを歩けば演者として纏うオーラが変わる。圧倒的に他とは違う、そこら辺になんているはずのない”モデル”になるのだ。

 

この感覚は、初めて稲勝に会った時に似ていた。一端のデザイナーを目指す身として大学入学以前から『ハヤカワ五味』の存在は知っていた。そして彼女が同大学同学科に入学することも知っていた。蓋を開けてみれば同じクラスで、いつの間にか仲良くなった。

『ハヤカワ五味ってどんな子なんだろう?』そう思って話しかけた稲勝は限りなく普通で、その普通さに逆に驚いた覚えがある。(もちろん『頭よさそうだなー』とか『可愛いなー』とか『声低いー』とか個性に関する感想はあったよ)わたしの今いる環境には、ぶっ飛んだ人なんてたくさんいる。ちょっと頭おかしいんじゃないの…?みたいな人だってその辺にいる。でもそういう人は、やはりこちらが想像もできないような視点から新しいものを生み出したりもする。そんな例は、日常茶飯事だ。しかしハヤカワは違う。あまりに普通で、親しみがあって、なのにやってることはものすごいのだ。

 

今回のショーだってそうだ。10代、20代前半の若いクリエイターたちが集まって作ったショーにしては、クオリティがぶっ飛んでいる。しかし作っている人たちは決してぶっ飛んでなどいない、常識も良識もある人たちばかりだ。(こんな得体の知れない女に「おつかれさまです」なんて微笑みかけてくれる)

そういう『ぶっ飛んでいない』という意味で”普通”な人たちがすごいものを作ることこそ、わたしは本当にすごいエネルギーがあるのではないかと思う。

 

 

無事一部を終え、軽く昼食をはさみながらも調整が続けられる。Tehu氏が一部を総評し『評価はAだ」と言った。「しかしハヤカワ五味としてはA++ないし、Sを目指さなければならない」と続けた。

よりよいものを、今あるものより、もっとすごいものを。『意識が高い』じゃ済まされない。

どうしたら見ている人に伝わるのか?何が楽しいのか?なにがわかりやすいのか?何が美しいのか?

すべてデザインの基本である。が、その細い配慮・意識の高さは学生のそれではないと感じた。

 

 

二部の幕が上がる。この時のハヤカワの表情はどうだったのだろう。わたしは入場案内をしていたため袖に入るタイミングを失い、残念ながら始まったその時 彼女のその表情を見ることができなかった。

9月から始まったこの企画の、いわゆるオーラスが走り出した瞬間の彼女は一体どんな気持ちだったのだろう。

 

私自身がデザインされてきた服達を通して、今度は私が誰かの《強くなりたい》という気持ちのために、その人自身をデザイン出来たらすごく嬉しいなって思います。

カタログ序文抜粋ーhttp://twishort.com/4xRgc

 

こんなコンセプトを掲げたイベントはその名の通り終始力強く、エネルギーに満ち、見る者に強烈に訴えかけた。

自作とは思えない映像、ランウェイを歩く錚々たるモデル、音響、グラフィック。個人的にはダンスパフォーマンスのあとの後半のパフォーマンスが最高にかっこいい。袖でメイク担当の吉岡氏(最高に気さくで素敵なかたでした!)と思わず「かっこいい…」と目を合わせてしまったほどだ。

 

 

稲勝は、真面目だ。ハヤカワとしての仕事などなにか特別な用事がない限り授業には必ず出る。そんなことは普通だという声が上がりそうだが、間近で見ていればそんなことは言えないはずだ。寝てないツイート(というかそもそもツイートしすぎて寝てるはずない)は彼女の十八番だが、課題に仕事に、本当に日々多忙に追われている。週5必修の一限は出る。講義は真面目に聞く。暇があれば仕事の連絡・構想・確認。課題は期限にクオリティを上げて提出する。

上でも記したが、私が知ってる彼女は学校生活を送る稲勝栞だけだ。それは彼女の約半分、もしかしたらそれ以下かもしれない。そんな私でも心配になる程働き続ける彼女がこの数ヶ月作り上げてきた”作品”がショーの終わりと同時に完成しようとしている。

 

舞台が暗転する。メインモデルの華歩さんがひとり楽しそうに服を掲げ、ショーは終幕した。

緊張の糸が切れる。リラックスしていたと思われた舞台袖も、この瞬間ばかりは堰を切ったように動いた。自然と拍手が起こる。

ハヤカワは泣いていた。

終わったんだあ、なんて声が誰かから聞こえた。ハヤカワだったかもしれない。違ったかもしれない。でもそう言っているように見えた。

 

失礼かもしれないがわたしはそれを見て『鬼の目にも涙』という言葉が浮かんでしまった。失礼なのはわかってる。ごめんって。でも浮かんでしまったのだ。

私の知ってる稲勝は、あまり感情の起伏が激しくない。いや、もしかしたら心のうちは激しく波打ってるのかもしれない。しかしあまりそれを表に出すことはない。その稲勝が、泣いている。そう考えると彼女がこの作品に打ち込んできた熱量の大きさを知った。涙もろい私も少しだけ視界が霞んだ。全然関わってないのにね。やっぱり人の気持ちを動かすデザインっていいなあと強く感じた。ハヤカワ五味にしかできないデザインが確実にそこにあったと思う。

 

 

 

かくしてショーは成功に終わり、設営のことは何にもわからない身なので半部外者は邪魔にならないように帰宅した。

 

こうやって書くと本当に邪魔しに行っただけのようだがポスター刷って案内やって舞台袖ドア係やってコントローラーばらまいてカタログ販売したよ!ちゃんと仕事してたよ!

 

なんでこんな半部外者が5000字を超えるレポートを書いてるかというと、それくらい心動かされるいいイベントにほんっっっっのちょっとでも関われたことを記しておきたかったからだ。あとは学校サイドの人間としてハヤカワファミリーを外から見た印象をなんとなく残したくなった。外からだからこそ見えるものってあるのかなと思ったので、それを私の記憶の中だけに留めておくなんて勿体なさすぎる。人は24時間後には7割がた忘れてしまうからな。ドルオタなのでイベントの記憶が薄れゆく感覚は痛いほど知っている。

 

しかし見たもの聞いたもの事実を覚えておきたいから書いたのではなく、今日この日の今の熱量を残しておきたくて、手っ取り早く一番慣れ親しんだ現場レポという形をとった。こんな長文を最後まで読んでくれた人に少しでもこの熱量が伝わればいいなと思っている。

 

きっと明日にはすごく恥ずかしくなってると思うがこの熱量を新鮮なまま密封保存しておきたいので勢いのまま残しておくことにする。

 

 

 

今日の総評としては、とりあえず可愛い女の子に囲まれてる稲勝まじ羨ましいと思いました。

 

おつかれさまです。